すみれ色の羊?色の正体ってなに?色の歴史を知ると見えてくること

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ギリシャ人には羊は紫に見える?

紫の着物。

紫のぶどう。

紫のスミレの花。

 

今 なんとなくイメージした紫は、だいたい同じだと思う。

わたしの紫と、あなたの思い浮かべた紫。

色の明るさや濃さに違いはあっても、紫と黄色ほど違わないはず。

 

しかし遠い昔の古代ギリシャ、詩人であり哲学者であるホメロスという人は

羊を「スミレ色」と自身の作品の中で表現したのさ。

 

いやいや、羊は白でしょう。(細く言えばクリーム色?)

紫の羊なんて聞いたことないし。

存在してたとしたら、それって蛍光色の深海魚みたいに 人工的に感じない?

それともあえて何かを芸術として隠喩した表現とか?

 

いいえ、ホメロスは本気で羊をスミレ色だと思っていました。

他にもスミレ色の海という表現も。

 

このホメロスの不思議な色の表現言語が元になって、

なかなかおもしろいアイディアマンたちの研究論争ストーリーがはじまる!!

 

はて、色を認識する人間の “知覚の問題” なのか、表現する “言葉の使い方の問題” なのか?

 

そもそも人が色を認識するってどういうことなの?

 

科学的にいうと、その物質がどの波長の光を吸収するかによって何色かが決まるよ。

では説明しましょう!

 

想像してください。

7色の虹の光、この光のビームが真っすぐ太陽からブドウに向かっています。

ビビビビビ。

赤から青までは、ぶつかってに吸収されて消えてしまう。

残った紫の光だけがブドウからピコーンと跳ね返って、あなたの目まで届く。

そしてあなたの目が この物質は「紫」だ! と認識する。

ということでブドウが紫に見えているわけ。

 

ちなみに全ての色を吸収してしまうのが、黒ね。
まさにブラックホール的な。

分かりやすい解説があったので、ぜひこちらのサイトも : – )

 

色のパレット、何色ある?

色の仕組みはわかったけど、普通なら羊は白いし、海は青い。

・・・ホメロスさんは色弱だった? というわけではなく。

 

色の表現について不思議なのは彼だけではなく、 同じ傾向が古代インドの書物や、ヘブライ語の書物の中でも見受けれたのよ。

個人がわたしたちと違う色の見え方をしていたのではない。

そもそも当時の人がもつ、色のバリエーションが少なかった!

 

 

どういうこと?

 

21世紀、現代人のわたしたちが今、虹を表現するならほぼ100%の人が7で答えると思う。
なので前項の色の仕組みは7色の虹で説明して、あなたも納得できたはず。

 

でもヒトは7色の虹を見てるわけじゃない。

その色のグラデーションの幅が、わたしたちの目が色を認識できる限界の幅

 

ホメロスは古代人。
その時代に人間が認識できる色は限られていた。

彼らは白から黒までのモノクロのグラデーション+赤 くらいしか識別できなかった。

彼らの手元のパレットの上には、ほんの数色しかなかった。

 

当時は

羊の色=モノクロスケールで淡いグレー=淡いグレーに見えるスミレと同じ色

と繋がり、羊はスミレ色と表現するのは、実際にその二つが同じ色に見えていたのが理由。

人間の色覚は古代から長い時間をかけて進化していた。

こう考えるのが自然なのです!

by グラッドストンさん – 1858

 

認識できない側からすれば、それが普通

こんなに鮮やかな世界にいる現代のわたしたちには 何だか薄暗くてモヤっとした世界に聞こえるなー。

 

羊もスミレも一緒の、モノクロに色がちょこっと入っただけの世界。
すごく限られた世界に感じてしまうけど、一体どんな感じだろう。

不自然なことが、当たり前だった。

 

今のわたしたちなら嗅覚で置き換えられるかも。

想像してみよう・・・

レモンの香りもグレープフルーツの香りも、はっさくの香りも

なんとなく「柑橘系の香り」くらいにしか認識できない。
(・・・少なくともわたしは嗅ぎ分けられない)

なんでも鋭く嗅ぎ分ける犬にとっては、わたしなんて旧世界の嗅覚(笑)

レモンとグレープフルーツが別物なのは知っているけど、匂いは同じようなもん。
羊とスミレが違けど、色は同じようなもん。そんなもん。

 

今のわたしたちが見ているものって・・・

さて、視覚に話を戻して、

今のわたしたちには、赤外線・紫外線を見ることはできないよね。

その波長の光線は今のところ肉眼では認識できないから。

目視ではなく科学の力を借りて発見され、 赤外線・紫外線の存在自体はみんな当たり前に知っている。

見えないのにね。

 

きっとこの時代のわたしたちにが未だ知らないだけで、

もっともっとその先に、新しい、想像を超えた色があるのかもしれない。

 

そう考えると・・・

今わたしたちがこの目で見ている世界には 見えていないものがたくさんあるんだなー。

なんて思ってちょっとワクワクする。

 

もしかしたら何世紀か後には 虹は11色になっているかもしれない。

 

 

*この話の内容は、わたしのお気に入り1冊の本から学んだ一部に、 自分の考えも交えての紹介でした

言語が違えば世界も違って見えるわけ Guy Deutscher著・田直子

(原題 “Through the Language Glass: Why he World Looks Different in Other Languages“)

 

*これはあくまでも長〜い論争のうちの1説、グラッドストン説。

また別の研究者の話で、この話も全く違うものとなってしまう・・・

つづきの記事:キリンの首が長いのはなぜ?答えは常に終着点ではない理由

 

あとがき

ちなみに、同じ景色が3色にしか見えなかったなんて想像できない、

と思ったあなたは実際見てみましょ。

 

Instagramとかの写真加工アプリで鮮やかな写真を選んで、

モノクロっぽいけど少ーし色が残っているフィルターをかければ古代人の視覚体験かしら。

フィルターじゃなくて “彩度” を限りなく低くしても同じ!

 

やっぱりわたしはカラフルな世界に生まれてよかった。

 

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