夢だったこどもアトリエを10年かかって実現できた話

わたしは絵描き・イラストレーターをしています。

こども向けのアトリエをつくりたい、と思いはじめてから10年。しぶとく思い続けていれば、夢って叶うんですね。

せっかくなので記録として、「いつかできたらいいな」をぼんやり思い浮かべてから、10年かけて実現するまでの話を書いてみたいと思います。


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最初は「いつかやってみたいな」くらい

こどもの集まるアトリエを、いつかやってみたいな…

そう思いはじめたのは覚えてないけど、たしか2013年。春が終わるころにはロンドンから日本に戻らなければならない。

戻ったらどうしよう?なにをやろう?自分はなにがしたい?なにができるだろう?

と、わたしは異国の地、別世界に住んでいたけれど、そろそろ…と現実を意識しはじめた時だった。

思い立ったようにfacebookでつぶやいた。よくある深夜の勢いで書いたみたいな文章でだいぶ恥ずかしいものなのですが、感情が生々しいからせっかくなので残しておきましょう。

ずっと思っていても恥ずかしくて言えない、心の中でモジモジしていた感情を、深夜の勢いでSNSにアップするという行動。いかにも20代らしいです。

正直、ロンドンのアートクラスで体験した自由な感覚、というかもはや感動があったことで、これはおおげさかもしれないけど、わたしのその後の人生すべての根っこの部分を変えました

たのしい。これでいいんだ。たのしい。
できない、どうしよう、ドキドキする。くるしい、でもたのしい。
もっとやりたい。もっとできる気がする。たのしい。

クラスに参加している間、心の中はこんな感じでした。

そしてクラスが終わって校舎を出る時には、めちゃくちゃアドレナリンが出まくってて、なんとも言えない高揚感に満ちていた。なんでこんなに楽しいんだろう?と笑っちゃうくらい、それは不思議な喜びだった。

人にどう見えるか?とか、いいものを作りたいとか描きたいとか、そういう余計な意識がどんどん少なくなって、いつの間にか忘れていた。ただただ夢中になっていたのです。

こんなに楽しいなんて知らなかった。こんなに自由でいいなんて知らなかった。なんで?もっと早く知りたかった!そう思っていました。

もしかしたら思い出は美化され過ぎているのかもしれないけど、今でもあの時間を思い返すだけでワクワクするから、やっぱり特別な解放感に達していたのだと思う。

そして、「これを自分がこどもの時に感じてみたかった…」と少し悔しいような気持ちと同時に、いつかこども向けのアトリエを開きたいなと思うようになりました

いつかやってみたいな。自分がおばあちゃんの頃とか。

こども達がアトリエに集まって、絵を描くのはこんなに楽しいって自分もウキウキしながら… そんな過ごし方ができたらいいな。

と、思い始めはこんな程度。ふわ〜っと生温かいイメージを浮かべていただけ。

まだちょっと人に言うのは恥ずかしい

だって当時は、こども向けのアトリエ?アート教室?なんて実際見たこともなかったし、人に教えるだなんて、まだまだ自分にはそんなこと出来るはずがないから言う資格もない。そう思ってました。

気負わずに言うこと、言えること

でも、ロンドンにいる時に出会った人たちは、気軽に「わたしもアーティストよ。」と言っていた。会社勤めで全然関係ない仕事をしていても、好きな時間に絵を描いていれば彼らは「アーティスト」だった。

自分に言う資格があるとかないとか、人にどう思われるかとかそういうの、なんか関係ない感じがして。

自分がどう在りたいかを言葉にする、言霊だから。というような小難しく頭をこねくり回した上での発言でもなさそうで、本当そのまんまな気がした。

彼らは絵を描くことが好きで、得意で、今現在も絵を描いていて、自分の絵をいいねって言ってくれる人がいて誇らしいと感じる。だから自らを「アーティスト」と呼ぶこともさらりと出来る。

______わたしたちは気負い過ぎなのかもしれない?

そういう人たちに触れてきて、別にやりたいって思うのも言うのも恥ずかしいことじゃない気がしてきて、昂った勢いでSNSにアップしたのだと思う。

思い返すと、SNSで人に言えるようになってくると、そのうち対面で会った人にも、いや〜生きてる間にこういうことしてみたいな〜というテンションで「いつかの夢」として話せるようになっていった気がします。

バイトとか、できるかな?

実際に口に出して言うようになると、無意識のすりこみなのかな?

そういえば、実際のお絵描き教室・アート教室・こども向けのアトリエってどんな感じなんだろう?と気になり、調べるようになりました。

まあそこで所詮「いつかの夢」というポジションであることに変わりはないのですが。むしろ、「どうせ」という感覚が強くなる事実を知るのです。

ネット検索してお絵描き教室のホームページを見ていくと、だいたいどこかの美大卒の人が教室を立ち上げていて、スタッフさんは同じ美大卒の若い感じの人か、現役美大生のようだった。

ホームページをひとつふたつと見ていくうちに、だんだんとテンションが下がっていき、手が止まるようになる。

自分には出来ない気がしてきた。なぜなら、わたしには肝心の美大卒という肩書きがないから

一応アルバイトの募集も見てみたけれど、どこも美大・芸大の肩書きが必須だった。やっぱり夢で終わるのかな… と「いつかの夢」は結局 頭の中だけで終わりそうな気がして、この夢にはしばらく手をつけずにそっとしまっておいた。

一方で、絵を描くことはずっと続けてた

わたしは留学で貯金をはたいてしまったので、とりあえず定職にはついたものの、社会人サークルで「デッサン会」というものがあることを知ってからは定期的に通うようになったり、海外のコンクールに応募したりしていた。

デッサン会のメンバーでグループ展示を行うようにもなった。

そうするうちに、沸々と「やっぱり…」という気持ちが芽生えはじめた。

絵の仕事がしたい。でも、どうやったら絵の仕事というものができるのかが分からない。全然現実的な感じがしなくて、とりあえず暇さえあればネット検索をしていた。

ここは本題と逸れるので端折ってしまうけれど、手あたり次第できることからはじめて、自分でWebサイトを立ち上げたり副業から少しづつ仕事を続けていきました。(そしてそのうち会社を辞めて本業にすることができました。)

せっかく時間もあるし

会社員をしながら絵を描く。時には副業にもなる。

つまり、一定の生活の保証がありながら好きなことをコツコツと追いかける、という生活は、時間のやりくりには苦労したものの、心に余裕が生まれた

実際、時間はそんなになかったはずなのに。特に副業として絵の仕事を受け始めたときには、いっぱいいっぱいなところもあった。

できない、むずかしい、けどたのしい。

時間はなくても心に余裕があると、不思議と時間もあるように感じた。自分の時間の主導権がすべて自分にあったから、かもしれない。

自分のためにフルで時間を使えていること、生活にも困っていないこと、心が健康であること。

30代になり、それまでには思いつかなかった気持ちがわいてきた。

自分のためだけに時間を使い続けるのも… なんかなぁ。と。せっかくならちょっと人の役に立つ方がいいなぁ。と。

このなんとなく浮かび上がった感情が、転機となる。

そこでボランティア活動に参加してみようと思い、ネット検索をしてみた。(改めて書いてみると、なんでもまずはネット検索だな、自分… )

せっかくなら興味のあること、自分も楽しいことがいい。

自分にできることといえば、絵を描くこと、あとはまあまあ英語が話せるくらい… こどもも好きだし。

ついにここで「こども」というキーワードが再び浮上してくることになるのでした。

いくつか調べた中で2つの団体へ興味を持ち、とりあえずメールを送る。

ひとつは、こども向けのアトリエスタッフ

ダウン症や自閉症のこども達が多く集まり、アートを教えるのではなくクリエイティブな仕事をしている人がサポートをするという形。以前にアルバイトを探してた時と違って、ここでは美大卒だとかいう学歴は関係なかった。

それに、教えるのではなくサポートをする、というのがわたしの「なんとなく…. いい!」にヒットした。

もうひとつは、小児病棟で絵本を読み聞かせるボランティア

絵本作家になりたいと思っているくらいなので絵本は好きだし(人よりはちょっと詳しいし)、こどもも好き。単純な理由だった。他の読み聞かせボランティアは資格みたいなものや研修が必要だったり、少しハードルが高かったけれど、ここは資格を求めるようなことはなかった。

こうして、「ボランティア」という形でこども達に接する機会が一気に増えたのでした。

思い出したワクワク感

なんとなく始めたボランティアでしたが、結果、やってみて本当によかった。

特に、こども向けのアトリエスタッフは、独特の自由な空気感がとても居心地が良かった。

こども達がみんな素直で、いや、そこに来ている大人もこどもも関係なくみんな正直な人たちで、気負わずに自分のペースでのびのびと過ごしていた。

わたしはというと、はじめての場所、はじめてのボランティア、なんか来ている人はクリエイティブな仕事をしている感がプンプンしている…. ということで、はじめは恥ずかしいほどにめちゃくちゃ緊張していたのです。

どうしよう、緊張する、ドキドキする、

でもなんか楽しい

みんなが好きなものに取り組み、やることはいつも気分次第。おしゃべりする時もあればしない時もあって、スタッフのサポートが必要な時もあればいらない時もあって。

今日やったことをみんなに見せる「発表」の時間が毎回あるのだけど、それが一番の盛り上がりタイム。

書いた絵を恥ずかしがりながら見せる子もいれば、踊りを披露する子もいて、みんなに一緒に歌うことを促したり、クイズを出したり、創作するものはなんでもいい。その時の気分次第。それが楽しい。

その場所にちょっと絵のアドバイスができるスタッフとして、アトリエに行けることがとても嬉しかった。

ボランティアなので毎回出席できるわけではなく行ける時だけだったけれど、とてもいい時間だった。

自由に創作すること、それをシェアして喜びになること、そうそうそれってすごく心地良くて楽しいんだよね。そういう空間にいるだけでワクワクする。

ロンドンにいた時の高揚感をちがう形で思い出させてくれました。

あ〜、やっぱり自分でもこどもアトリエやりたいな。

コロナの壁とチャンス

数年、会社員をしながら副業やサークルで絵を描いて、ボランティアをして。そんな風に過ごしていました。

2020年来たる、あの感染症よ。

いろんなことが重なり、都心住まいから田舎の実家へ戻ることになりました。

「実家、広いし(賃料もかからないし)自宅でこどもアトリエできないかな… ?」

ふとそんなことを思い立ちましたが、世の中の事情やらいろいろあって家族の了承は得られず。残念。

そんなこんなで2020年、2021年。とあるお仕事で長野県へやって来ることになり、ご縁があって2022年に移住することに。それが大きな転機となります。

長野県へ移住するきっかけとなったのがANAが主催するアーティスト・イン・レジデンスというプログラム。聞き慣れないカタカナのそれについては、別の記事で。

移住に踏み切れたのは、2020年〜2021年の間にたくさんの人と知り合えたから。その安心感があってこそ。

そのうちのひとりに、こども向けのアトリエを主宰しているアーティストがいて、人手が足りないから手伝ってほしいとメッセージをもらった。同じ女性で年齢も近いこともあって話しやすく、すぐに打ち解けた。

不定期に、でもコンスタントに彼女のアトリエへお手伝いに通うようになると、「いつかの夢」が一気に身近に感じて、現実味をおびてきた。

というか、自分で手を伸ばせば叶うような気さえしていた

やるなら自宅かな。と、具体的にイメージすることもできていた。

移住後は一軒家の賃貸へ住んでいて、わりと広かった。というか、実は物件を探している時ににも頭の片隅に「アトリエにできるスペース」が取れることを見据えながら探していたりして。

どんなアトリエの雰囲気にしたいのか? もうずっと前から理想のイメージもコンセプトもある。

自分がどんな風にこども達に接しているのか? 今まさに現場でトライしている。

どんな風に運営しけばやっていけるのか? 今まさに先輩の様子を間近でみている。

自分はどこでやるのか? 一応場所はある。

もうここまで来たらあとは自分が覚悟を決めて、いつやるかを決めるだけ。

なのに、まだわたしは別のことに時間や気を取られていた。「いや、そろそろやりたいと思ってる」と言い続けながら、「いつかの夢」をまだ前に進められずにいた。

妄想だけは、はかどる

その一方で、アトリエの名前の候補を考えたりするのは、ずーーーっと前からやっていて、アイデアを思いついてはノートの片隅にメモしていたり、アトリエでこども達に教えたい内容をネタ帳に書き溜めたりしていた。

だってそれって楽しいし、めちゃくちゃテンションが上がる作業だから…!

そしておかしなことに、アトリエ名だけは決めてホームページのドメインまで取得していた。いつスタートするかも決めていないのに… !

機は熟した

ありがたいことに、、本当にありがたいに尽きる話で、手伝いに通っていたこどもアトリエで、ゲスト講師としてワークショップをやってみない?というお話をいただいた。

この期に及んでまだ「わたしなんかが… 」という気持ちがあって即答できない自分がいたことが恥ずかしい。今、この文章を書きながらも恥ずかしい。

できればカットしたい部分だけど、このモジモジしているのが自分なので、それも込みで「10年かかった」という話ですから、ありのままにお伝えしましょう。

しばらくしてからやっと「あの件ですが、ぜひお願いします!」とワークショップの企画内容を握りしめてお伝えした。実際には企画書はメールしたので、心の中で紙の企画書を握りしめているイメージで送信ボタンを押した。

ここまで来るともうやるしかないというか、なんでやらないの?という気がしてきて、2023年4月にオープンしよう!と日にちを決めてカレンダーに書き込んだ。

スタート日を決めさえすれば、あとはもう早かった

オープンがここだから、告知はいつまでにした方がいいかな。

急に知らないとこに通わせる親はいないだろうし、体験会を開いた方がいいかな。などなど書き出したタスクはカレンダーを埋め尽くした。

具体的にやったこと

目標設定ができると、やらなければいけないことも必要なスピード感も明確になる。

まずはブランディング

アトリエのロゴ、SNSの開設、ホームページ作りなど鬼のように作業を進めていく。

同時並行で空間づくり

賃貸の自宅の一部を開放するので、現状回復できる形でどうやったらアトリエらしい雰囲気をつくれるか?たくさんリサーチをしながら何かを買う度にネットショップを見比べて、照明、床、壁、カーテン、テーブル、棚などなどを買い漁った。

ちなみにこれは補助金事業ではないから低予算。なるべくDIYでやりくりするしかない。

運営部分にもかなり時間を割いた。

時間と料金のバランスや曜日設定を含めた「ちょうど良さ」は実際にこどもがいる友人知人にヒアリングしながら入念に調査をしたし、アトリエの運営ルール(利用規約)を決めたり、万が一の事故に備えた対応なども準備した。

肝心のアトリエの内容はすんなり決まった。

今まで書き溜めていたアイデアのメモを整理するだけで十分。そして妄想も済んでいるからだ。

こどもアトリエに適した道具や画材の準備だけは、安全面とコスパの面でだいぶ比較検討が必要だったので、アイテムの選別にはかなり時間を費やしたかもしれない。

ゲスト講師としてのワークショップは、内容も先輩にアドバイスをもらいながら詰めていき、2023年の2月に開催することができた。

さらにありがたいことに、彼女のアトリエで開催するにも関わらず、わたしのアトリエオープンの告知OKという許可をいただいた。建物の都合もあって彼女のアトリエは3月で一旦締めることになったらしく、ちょうどいいタイミングだったようで。

いろんな面で最高のチャンスをくれた彼女には、本当に感謝しかないのです。

本格的に広報活動を開始

お恥ずかしながら、広報活動が追いついていなくて、ワークショップの際にアトリエオープンのチラシは間に合わず、取り急ぎで用意したコンビニのカラーコピーでなんとかした。

ホームページも仮状態で「準備中」の表示だったし、SNSも同じく「準備中」の投稿だけ

それでもアカウントさえ存在すれば、ワークショップで気になってもらえたらフォローしてくれるかも?と思って用意だけはしておいた、という感じで少し遅れ気味。

ワークショップを終えてからは、どうにかホームページの中身を増やしていったり、SNSを投稿していきながら、徐々に自分のところで開催する「アトリエ体験会」の予約が入るようになった。

その後、ちゃんと印刷会社に注文したチラシが届き、知り合いで置いてくれそうな場所にはお願いをしてまわる。

「お客さんの感じがなんか合いそう」と思ったカフェや本屋さんなどにも、チラシを置いてもらえませんか?と直接お願いをして歩いた。

広報活動は本当に友人知人の協力が大きくて、あそこのお店はこども連れが集まるからいいよ!とか、公民館に知り合いがいるよ!とか、そういう小さいことがつながって色んなところへ広報できることになったのです

この時は、自分が思っていた以上に、何倍ものスピードで加速して進んでいる感じだった。

人に相談をしたら一気に話が進んで、「え?うそ、もう!?今から?」みたいな展開がたくさんで。

どうしよう、できるかな、ワクワクする

と、無性にハイでいるような高揚感が止まらなくて、夜、布団に入っても興奮しているせいでなかなか寝付けない日々がつづいたのです。準備期間は大変でもあるけど楽しい。

一方、「わたしなんか」思考が出てきてしまうビビりなわたしは、「こんなにたくさんの人に協力してもらって大々的に告知したのに、だれも集まらなかったらどうしよう….」と、怯えてもいました。

念願のこどもアトリエ オープン

4月に自宅でこどもアトリエをオープンする!と決めてから、数ヶ月はアクセル全開で準備をして、3月には興味がある人向けの体験会を開くことができた。

結果、体験会には当初の予約枠以上の問い合わせがあり、キャンセル待ち状態に。追加で日程を組んでもキャンセル待ちをしてくれる、という嬉しい悲鳴だった。

体験会でその人数だと、さすがに受け入れられるクラス数が足りない!となった。当初はアトリエには土曜日2クラスの募集だけだったものが、日曜も追加で受け入れることにした。

なんと今でも入会待ちをしてくれているこども達がいて問い合わせも続いているので、秋からまたクラスを増やそうと思っているところです。

こんな田舎町に、こども達がアートをする場所の需要があったのか…!と驚く一方で、自分がずっとやりたかったこと、理想のイメージというのがしっかりとだれかに届き、共感されたということが何よりも嬉しい。

10年間、あたためた甲斐はあったのかもしれない。

今、本当に楽しい。


しぶとく思い続けていれば、夢は叶った

「いつかの夢」を実現するまでの10年をこうして文字にして振り返ってみると。

はじめは生きてるうちにやりたいな〜…と、何事もぼんやり思い始めるところからですね。

いつかやりたい、とこの10年、強弱はあれど心のどこかでずーーーーっと思っていて、たまに人に話したりしていた。

話してるとそれに近いものに自分の気持ちも寄っていくし、だれかが手を差し伸べてくれることもあった。

最後の最後は自分がだいぶモジモジしてたんだな〜と思いました。あとは自分でボタンを押すだけなのに。

スタート日を設定する、というか本当の本当にやると自分が勇気を持って決断したら早いもので。やると決めたらあとは流れにのって進むだけというか、やるべきことをこなすだけでした。

本当にやると決断すること自体に勇気が必要なだけかも

これって、何事もそうでしたね。

旅行に行きたいな〜 ってぼんやり思ってるうちは決まらないけど、次の夏休みに行く!この日に!って決めたら、もう行き先決めて宿を予約して、とか固まっていくし、旅行資金のためにランチを節約しようとか、ちょっと行動が変わったり。

引っ越しとか転職も、ぼんやりと「したいな〜」って思っているうちは先が見えなくて現実味がないけれど、次の春には絶対に今と違うところに居る!って決めたら、スケジュールを逆算して動くだけだったもんなぁ。

と、今更ながら全部一緒やん!って思うのでした。


2021年の展示の報告からは、絵の仕事の方が忙しくなったこともあり、だいぶ久しぶりの近況報告も兼ねた更新でした。こどもアトリエオープンを機に、インタビューを受けることで気づかされたことが、この夢の実現までのストーリーを伝えることは意味があるかもしれない。ということです。

この話は、なにか少しでも「いつかやってみたい夢」を持つ人によって役に立てば幸いです。

メールでブログ読みました、という励ましのメッセージをいただくことも増えました。全員に直接返信をしていくことが難しそうなので、それは申し訳ないのですがいただいたメールは読んでます。ありがとうございます!

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