今は絵描き活動と会社員のパラレルワーカーをしているYukoです。(2017時点)
高校生時代のわたしは、ごくフツーのどこにでもいる女子高生でした。
これは、高校生の進路で親に大反対されながらも、夢へのはじめの一歩を踏み出した時のエピソードです。
遅刻ばっかりでバイトやバンドに明け暮れていた女子高生が、「やりたい」という直感を信じ、やたらと腕をブンブンと振り回しながら大人と闘った… 奮闘記と言えるかもしれない。
→ 結局のところ、絵の仕事で独立して生活することができるようになりました。(2024年追記)
よくある話ですが、あの時期がなければ、確実に今のわたしは存在してないと思います。
自分のやりたいことがあるのに、まわりの大人に反対されて悩んでいる人へ、ひとつのエピソードとして届けばいいなと思います。
進路に迷う、はじめての人生の選択
学校での進路相談
高校生時代のわたしは、いたって普通。
3日に1回くらいは遅刻。学校生活はちょっとダラけか感じながらも、マクドナルドでバイトをしたり、軽音楽部に入ってバンド活動をしたりと、日々の高校生活をたのしんでいる普通の女子高生だった。
ある日、将来について急に真剣に考え始める。高校2年生の進路相談だった。
これが人生で最初に訪れた、いわゆる「人生の選択」だった気がする。
学校に行くのは、友だちに会うため。
バイトに行くのは、自分で好きなものを買うため。
目の前の日常がすべての高校生にとって、「将来」は遠すぎてあまり想像できない。
将来どんな仕事がしたいですか?___なんていう問いは漠然としすぎていた。
自分の将来なんて… ピンとこない
家と学校とバイトと。すべては自分の目の届く範囲、すぐそこで完結している世界だった。
ちなみに、当時の「インターネット」というのは「パソコンでやるもの」で「特別なもの」だった。
やっと高校生がEメールが送れる携帯(ガラケー)を持つことが普及してきた感じ。
少数派ではあるもの、クラスメイトの中には携帯を持っていない人もいたし、それが「え?持ってないの?!」というよりは、まだ持たない派の「そういうお家の方針なんだ」と感じるだけだった。
目の前の世界がすべて、そんな感覚だった。
目の前にあるストーリー、たとえるなら青春映画を楽しんで見ていたのに突然
「遠〜くの向こう岸の国について、具体的に想像してみなさい」
と言われてるようなもの。
そりゃあ、なかなか自分の頭の中でピントを合わせるのは難しくないだろうか?
自分な好きなものって、なに?
仕事を選ぶこと、の重み
「仕事」=ずっとやって生きていくもの
当時のわたしは、というかわたしと同じ世代ではこういうイメージじゃないだろうか?
仕事とは、大人になったらずっとやること。みたいな、「仕事」について固定観念があったんだよなぁ。
今の高校生はどうなんだろう?
高校生のわたしは、「今選んだ仕事は、大人になってからそれをずっとやらなければいけない」と思っていた。
きっと、その時代で刷り込まれた「普通の大人」のイメージかな?
大人が仕事を変えているイメージがなかった。1度決めたらやり通すもの!みたいな。
将来やりたいことを選ぶ、ってことは仕事を選ぶってことでしょ?
この選択は重い。仕事を選ぶってとっても大事(おおごと)な気がしていた。
人生ずっとやることなら、じゃあ、自分の好きなことやりたい… かな...?って。
そう思うようになった。
自分の「好きなこと」をはじめてマジメに考えてみる。とりあえず思い付きで!
仕事って一生するものなら、自分の好きなことがいい。
一旦そう思い始めると、「稼げる」とか「安定」という言葉は考えもしなくて、
いつの間にか「好きなことをする」以外の選択肢は考えられなくなっていた。
とりあえず好きなことを書き出してみる。
- 小さいころから絵を描くのが好き
- 何かを作るのも好き
- オシャレも好き
なんでここに「オシャレ」が出てきたかというと、わたしが通っていた高校は制服がなくて私服だったので、制服の子よりも服は多く持っていたと思うし、オシャレをするのは楽しかった。
古着屋に行ったり、服のリメイクなんかもしていた。
“ファッションデザイナー”
実は、小学校の時からデザイナーという言葉の意味もよくわからないまま、
どこかで言葉を覚えて以来、「ファッションデザイナーになりたい」と言ってた。
適当だったけど、真剣に考えてみようかな……
自分の「好きなこと」に近づいてみる
ファッションの世界を見学。まずはのぞいてみる
当時の高校生にとってインターネットが自由に使えなかった時代なこともあり、
家と学校とバイト。自分の手の届く範囲=この世に存在している世界、だった。
どんなところか知らないから、とりあえず見に行ってみるか。
と、勇気を出して外の世界をのぞいてみることにした。
まずは、趣味が似ているクラスメイトと一緒に、東京の服飾専門学校の文化祭に行ってみることにした。
とはいえ、そんなに深く考えることもなく、ちょっと友だちと原宿に買い物へ行くワクワク感の延長だった。
場所は、わたしの母校、文化服装学院へ。
その日、わたしたちは最大級にオシャレをしていった(笑)
高校生には見たことのないファッションの世界
服飾専門学校の文化祭で見たのは、生徒の作品であるたくさんの洋服、かっこいいデザイン画… !
そして目玉のファッションショー。
けっこう大きいホールの会場で、わたしたちは並んで入る。
満員電車みたいな状態の立ち見、お客さんは超満員だった。
生で見る本格的なファッションショーの舞台は、めちゃくちゃカッコ良かった。
胸が高鳴るとは、こういうことを言うのだろうと思った。
友だちと帰りの電車の中で、興奮しながら話していたのを覚えている。
高校2年生の秋だった。
見学の次は体験、ファッションショーへ!
次の夏休み、高校3年最後の夏には、同じ服飾専門学校の高校生向けのオープンカレッジ(体験講座)に参加することにした。
講座のテーマは、オリジナルシャツ作り。
講座の最後には、自分で作ったシャツを着てファションショーをするというものだった。
教室でグループ分けをされ、友だちとは別のグループになった。
白いメガネの女の子なんてわたしの地元では見たこともなく、周りは雑誌のストリートスナップに出てきそうなオシャレな子ばかりだった。
オリジナルシャツ作りと言っても、ある程度決められた型から選んで自分のデザインをプラスアルファして作る!という感じ。
いきなりチャレンジだったけど、内側からアドレナリンが出てなんだかゾクゾクした!
デザイン画を描いたら先生に相談して、実際の型紙をどうアレンジしたらいいか教えてくれる。
作り方は先生の実演を見て、真剣にメモを取って、ミシンをカタカタと踏む。
最後は、高校2年生に文化祭で見たステージと同じ場所で、はじめて自分で1から作ったシャツを着て、ファッションショーをした。
デザイナーという夢が、はっきりと自分の中にあるのを感じた。
本当に自分にできるのかな…?という迷い
当然のごとく、親は反対
高校3年生の夏、自分の夢がはっきりした。
それでも、迷いなく進んでいったわけではなかった。
デザイナーになりたいって思いながらも、分かってた。
親が間違いなく反対することは。
最初に母に相談して、当たり前のように反対された。
その時はまだ、親の反対を押し切るだけの強い気持ちが自分にはまだなかった。
まわりと違う選択をする、自分の中のプレッシャー
一応進学校だったので、通っていた高校では大学進学が当たり前。
進路希望で専門学校を選んだのは、学年でたった2人だけ。
わたしともう1人は一緒に文化祭とオープンカレッジに言った友だちだ。(高校3年のときは別のクラスだった)
1学年でA,B,C,D,〜I組まであったから、その中で2人だけというのはかなりのマイノリティーだった。
まわりは当然受験、塾、どこどこ大学の学部は〜という話で、正直いつも一緒にいる友だちの輪の中にいると、心細くてたまらなかった。
仕事を選ぶって一生のこと、それだけでも大事(おおごと)だと思ったたのに、まわりと全く違う選択をしようとしている。
自分で自分自身の選択にプレッシャーを感じてた。
___本当に自分にできるのかな?
わたしの背中を押してくれたもの
バイトの先輩から借りた、1冊の本
高校3年間働いていたバイト先には、憧れの先輩がいた。
いつもオシャレで可愛くて、東京の服飾専門学校に通っている年上の先輩。
しかも、ついこの間はロンドンへ行ってきたという。(ロンドンは世界3大コレクションが開催されているので、夢の先にあるような場所!)
田舎の高校生のわたしにとって、圧倒的に憧れの道の先をゆく人、すごくキラキラした存在だった。
当時、進路に悩んでいるわたしに、その先輩が何冊かの本や雑誌を紙袋いっぱいに詰めて貸してくれた。
先輩が貸してくれたある1冊が、劇的にわたしを変え、迷いは一掃された。
デザイナーになるために専門学校へ行く。
という自分の進路選択に自信が持てなかったわたしの背中を押したのが、この1冊。
必要なのは勇気ではなく覚悟。決めてしまえば、すべては動き始める。
人生の地図 高橋歩編著 より
この言葉は、田舎の女子高生に与えた衝撃はハンパじゃなかった。
高校3年生のとき、はじめて人生の選択で迷い、この本に出会って以来、
立ち止まった時に何度も読み返す、この本はわたしのバイブルになっているよ。
この本は、たとえ夢とか仕事とか分かりやすい何かを探していてもいない時でも、
読むたびに「どう生きたいか」を考えさせてくれる。
高校生でなくても、現状に何かしら思うところがあるなら、気負わずにぜひ読んでみてほしい本。
夢に大反対する親との長期戦
闘いのゴングが鳴る
はじめてデザイナーになりたいと母に伝えたときは、当たり前のように反対された。
自分でも決心が甘かったその時とは違い、背中を押されて決意が固まってから改めて説得したところ、母にはなんとか分かってもらうことができた。
そして、ラスボスは父だ。
ちなみに、うちの父はザ・昭和のお父さんタイプの頑固親父。
親子でわたしも負けじと頑固なため、進路のゆく末が決まるまではかなりの長期戦となった。
親の世代の常識だと…
わたしの親世代はいわゆる団塊の世代で、こういう感じになる…
専門学校なんて一体なんのために進学校に行ったんだ!とか、
デザイナーなんて就職できるのか!その先食っていけるのか!とか。
今の時代に大学へ行かないなんて有り得ない
一度その道を選んだらやり直しはきかないぞ
絶対後悔することになるぞ!
大喧嘩になったのはご想像の通り…..
親世代が描く、子どもの幸せ
お願いだから一旦大学へ行ってくれ。
それでもやりたければ、その後に専門学校へ行けばいいだろう。
何度話しても平行線。
親世代の描く「幸せの方程式」は、頭の中に刷り込まれてガチガチに固まっているのだ。
いい大学→大企業に就職 = 安定 = 幸せな将来
この「幸せの方程式」は親の中では完ぺきで、かなり手強かった。
この方程式が当てはまる人がたくさんいるのは知ってる。でもわたしはちがう。
やりたいことを後回しにして大学に行く気なんて、サラサラなかった。
だって、自分が「好き、やりたい!」と思うことがこんなにもハッキリ確かに分かっているのに。
他にやりたいと思えることは無いのに。
もし大学へ行ったとしたら、一体どんな気持ちで4年間も過ごすのだろう・・・
想像しただけで苦しかった。
17歳のわたしには、とりあえずで行く4年という時間はあまりにも長く思えた。
そんなの考えられない。
冷静に攻める!説得させるための作戦を立てる
どうしたらガンコ親父を説得できるかな・・・?
↓
やる気とか情熱とか、感情で当たってもダメなら、冷静に攻めよう。
冷静に、客観的に、根拠を持って。
そう考えたわたしが、デザイナーになりたいなら専門学校へ行くべきだという理由を徹底的に調べることにした。
- 被服系(家庭科のうち服専門)大学のカリキュラム
- 授業内容の違い(たとえ同じ授業があっても、年間で学べるコマ数が違う)
- 輩出した有名デザイナーの数を比較
- 卒業後の就職率と専門性の重要度
- 多数ある服飾専門学校のちがい
- 信頼性の高い専門学校の選定
などなど。
これだけみっちり調べたので、行きたい学校は決まっていたし、
とにかく親を説得できる客観的な理由をそろえるために、
これまでのどんな宿題よりもマジメに、レポート形式にしてまとめて印刷しておいた。
(正直このために学校の授業を何度サボったことか・・・。おっと。)
万全で再び挑むが…
たくさん調べて冷静に客観的な事実もそろえて、とりあえず大学じゃなくて専門学校へ行くためにレポートにした!
万全で挑んだ結果は・・・・
残念ながら、涙の敗北。
わたしの渾身のレポートは、見てももらえなかった。
どうしても伝わらない・・・・・
ティッシュ1箱を使い切っても、涙と鼻水は収まらない。そして嗚咽(おえつ)が止まらない・・・
作戦変更!認めてくれないなら・・・自分の力で行くしかない!
情熱で攻めても、冷静に伝えてもダメ。
はじめは、自分でも「好きなこと」を言い切る気持ちに自信が持てなかったあの時がうそみたいに、「自分の好きなことをやりたい」という想いは強まる一方だった。
大泣きしたバトル。そこからはもう開き直って、作戦変更!
親が認めてくれないなら、自分の力で行く手段を考えよう!
入れるだけバイトを入れて、節約もして、ひたすら貯金を始めた。
そう。頼れないなら自分で学費を払うしかないのだ。
調べたところ、専門学校なら高校からの推薦状がもらえれば入試をスルーできる。
つまり、受験勉強をしなくていいのだ。
ならば、みんなが入試対策している間にわたしは稼いでやるのさ。
そう切り替えてから、元々働いていた飲食店のバイト加えて、短期の1日単位のバイトもどんどん入れていった。
掛け持ちして、とにっっかく働いた。
こうして1年分の学費は自分で払えるまで、貯めることができたのだ。
2年目の分は専門1年目でバイトしてまた貯めればいいし。
執念の勝利
1年分の学費を自分で払おうとしているわたしのやる気が認められたのか、根負けしたのか、
半年に及ぶ長〜い闘いの末、ついに両親が折れてくれた。
まさしく、執念の勝利!!(笑)
ガムシャラに進んだおかげで、抱えていた心細い気持ちも不安もすっかり消えていた。
これから先、飛んで行く向こう岸にどんなことが待っているのかワクワクしていた。
春までの間、とある田舎の本屋でパリコレクションの雑誌を立ち読みしながら。
人生は旅だ。自分だけの地図を描こう。人生の地図 高橋歩編著 より