ひとりの時間があればこそ。孤独の価値がわかる、三木清の人生論ノート

ひとりでいるのは好き?

いつも誰かとつながっているようで、いつもひとりな気もする。

インターネットがあれば無限に広がる、人とのつながりの中に住むわたしたち。
家族、昔からの友だち、職場、SNSを交換しただけの人。
関わる人が多すぎて、色々とこじらせている気がする。

ふと訪れるひとりの時間を見直すことで、こころのモヤモヤが消えるかも。


三木清
の「人生論ノート
は、孤独の意味と、
人がひとりであることの価値、を教えてくれるよ。

この本は1937年に書かれたものとは思えないほど、
現代人のこじらせたこころの問題をといてくれる。

NHK100de名著でわかりやすく解説してくれるのは岸見一郎先生。
アドラー心理学を教える “嫌われる勇気” の著者で有名な先生。
番組第三回の一部を、さらにわたしなりに噛み砕いてご紹介するよ。

そもそも“ひとり”ってどういうこと?

人は大きな海の中にいる泡のような存在

三木清の人生論ノートでは、世界は大きな海、人はその中の泡のような存在だと言っている。

泡はいとも簡単にまわりに溶けて消えてしまう。

ちょっと気を抜けば、たちまち泡は消えて、まわりと一体化してしまう。
あなたらしさがなくなってしまう。

(この話、エヴァを思い出すなあ)

つまり・・・

規則正しく同じサイズ、同じ色のドット柄がある。
そのドットひとつ一つをどうやって違うものと認識できるのかしら?
みんな同じなら、ただのドットの集まり。
全体でひとかたまり。

みんなが、右に動けと言われれば右に向かって行進する。
そんなイメージ。

それぞれが違う、多様性を認めてこそ、
ひとりの “あなた” と “わたし” の存在になる。

別々の人格・考え方であるから、別個であることの価値がある。

「自分の個性がわからない」問題はこれだ。

 自分がどんな人間かわからない
 自分の得意なことがわからない
 自分らしいってどういうこと?

岸見先生は、今の時代だからこそ個性を見つけるのが難しくなってしまったのだという。

もし世界に自分一人しかいなかったら・・・

自分について何もわからなくなってしまう。

背が低いとか、肌が白いとか、わたしってマイナス思考だな。というのは、比べる他人が存在してはじめて分かること。
自分の性質は他人が居てこそ分かるもの。

そこではじめて “個性” ということばに意味が生まれる

 

昔は、関わり合う人数は限られていたよね。
一生のうちで、その村の人全員と関わるかどうか、みたいな。
目の前に相手がいて、
表情とか、声とか、身振りとかも含めて、
その関わり合いの中で自分との違いを感じていた。

自分のクセとか考え方に気付きやすい。

平助(村人)とわたしの関係の中で、笑ったり悩んだりして、わたしという人間が作られる。

“個性” を認識できる。

今は個性を形づくる関係が無数にある

と説明する岸見先生。
見えない相手までつながって、人間関係が無制限に広がって状態。

無数につながることで個性を作るどころか、
逆に自分が “匿名のだれか” になってしまう。

気持ちが孤立してしまうことがある。
世界に溶けてしまうような。

 

今が悪いわけじゃない。

ケータイとインターネットさえあれば、つながる相手は無制限に広がるのは楽しい。

顔を知っている友だちでさえも、顔の見えないコミュニーションが増えた。
一言LINEするだけでもコミュニケーションだし、
SNSを流し見しているだけでも、相手を知ることになる。
生活の一部が情報として入ってくるからね。
これもコミュニケーションのひとつ。

でも対面の人間関係との違いは、改めて理解する必要がある。

人がたくさんいる場所に孤独がある

孤独は山になく、街にある

現代にしっくり当てはまる。
これが戦時下に生まれた言葉だということに、本当にびっくりする。

ここで惑わされてはいけないのが、
「さびしい」という孤独感情。

孤独は感情ではなく、知性に属さなければならぬ

と三木清が言うように、
「ひとりであること」と「ひとりぼっちで寂しい」は違うのよ。
英語だと「alone」と「lonely」の違いだね。

ここに孤独の価値が隠されている。

 

自分自身であることの強さ

孤独、それは自分が個性を持つひとつの存在であること。

人と人との間にスペースがあるということ。

それは迎合されないということ。
自分を曲げてまで人に合わせないということ。

それは自分の中の知的な部分、
一本の芯があるということだと思う。

知的なアイデンティ。

これを持てることに価値があると。

岸見先生は、

全体がおかしい時におかしいと言える知性があるということ。孤独になったとしてもそれは知性がある。

と伝えているよ。

 

感情に煽られた孤独ではない、知性による孤独。

世界がファシズムの狂気に飲み込まれて、おかしくなっていた。“戦争” が正当化されていた時代に生まれた、本当に尊い考え方だ。

みんなの逆を行くことが素晴らしいと言っているのではなく、結局は自分の考えを持ってNOと言える勇気を持つことが大切なんだろうね。たとえ孤独になったとしても。

あとがき

三木清が伝えようとしていたのは、孤独になっても自分の考えを貫く強さだった。
戦争が正当化されていて、厳しい国の規制、言論の自由がなかった時代だから、とても難しい言い回しを使ってそれをくぐり抜けていた。
どうしても伝えかったんだろうな。と思うと胸が痛くなる。

生命は虚無からの形成力で、人生とは形成である

と書かれていた。

自分で考えて、自分で人生をつくっていく。

アドラーの、「人間は人生を描く画家である」っていうことばにも通じるなと思う。

それに虚無の海から自我によって自分が作られるというイメージは、エヴァを思い出さずにはいられない。
現代のポピュリズムはある意味で人類補完計画なのかも・・・こわい。

わたしはひとりの時間が好きです。ないと困る。
修学旅行とかでも、ふとみんなから離れて、一人でぼけーっと湖を眺めていたりした。
大丈夫?とか心配されるけど、全く大丈夫。
やっぱり必要なの。そういう時間が。

今日は一週間で一人になる時間。
ぼーっとしよう。

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