個性ってなに?孤独ってなに?三木清の人生論ノートで孤独の強さを知った

突然ですが、ひとりでいるのは好きですか?

いつも誰かとつながっているようで、いつもひとりな気もする。

インターネットがあれば無限に広がる、人とのつながりの中に住むわたしたち。

家族、昔からの友だち、職場、SNSを交換しただけの人。

関わる人が多すぎて、色々とこじらせている気がする。

Yuko
ひとり時間の価値を知ることができる、オススメの本を紹介します。

フューチャーされているのは三木清の「人生論ノート」。

原作は1937年に書かれたものとは思えないほど、 現代人のこじらせた心の問題をとき、孤独の意味と人がひとりであることの価値を教えてくれます。

しかし!

原作の文章は昔の書き方で難しいので、わたしは岸見一郎先生の解説バージョンをオススメします! “嫌われる勇気” の著者で有名な先生なので、解説版はとても分かりやすいです。

Yuko
この記事では、それをさらにわたしなりに噛み砕いたバージョンです。

学んだきっかけは、NHKの100分de名著という番組で岸見先生が解説していたのを観て。

 

わたしはてつがくや心理学のたくさんの言葉に助けられました。

ふと訪れるひとりの時間を見直すことで、心のモヤモヤが消えるかもしれません。

✔︎こんな人に役立つ記事

  • ひとりの時間がつらい、さびしいと感じる人
  • SNS疲れを感じてしまう人
  • 自分の個性がよくわからない人

 


ひとりを知る

そもそも“ひとり”ってどういうこと?

三木清の「人生論ノート」は、孤独の意味とひとりの価値を教えてくれる一冊だ。

では、そもそも “ひとり” とはどういうことだろう?

人は大きな海の中にいる泡のような存在

三木清の人生論ノートでは、世界は大きな海、人はその中の泡のような存在だと言っている。

 

泡はいとも簡単にまわりに溶け、消えてしまう。まわりと一体化してしまう。

人に置き換えてみる。

たくさんの人の中に漂っているこの世界で、ちょっと気を抜くと… たちまちに人だってまわりと一体化してしまいます。

あなたらしさがなくなってしまう。

(個人と他者との境界線が溶けていく感じ。この話、エヴァを思い出すなあ)

集合体と個体

わたしたちは海という1つの集合体なのか、それともミクロで小さい泡でもひとつの個体なのか?

泡は広くて大きい海の中に在る。どうしたら泡のひとつひとつは「泡」として認識されるのだろう。

 

たとえば。

キレイにそろった同じ色・サイズのドット柄がある。

みんなキレイに同じ過ぎて、それは「ドット柄」という全体としてとらえられる。

けれど、ドットのひとつひとつが大きかったり小さかったり、右に左に動いたり。そうすると、ひとつひとつに目がいくだろう。

 

それぞれが違う。

違いがあってこそ、ひとりの “あなた” と “わたし” の存在になる

別々の人格・考え方であるから、別個であることの価値がある。

 

「自分の個性がわからない」理由は…

こんな風に悩んでしまうことはないだろうか。

自分がどんな人間かわからない

自分の得意なことがわからない

自分らしいってどういうこと?

現代人ならではの「自分の個性がわからない」問題だ。

人生論ノートを解説する岸見先生は、今の時代だからこそ個性を見つけるのが難しくなってしまったのだという。

その理由は…

個性を形づくる関係が無数にあるから

現代で「自分の個性がわからない」と悩んでしまう理由、個性を見つけるのが難しい理由は、今は個性を形作る関係が無数にあるからだ。と説明する岸見先生。

 

見えない相手とつながって、人間関係が無制限に広がっていく状態。

無数に人とつながることで、個性を作るどころか逆に自分も “匿名のだれか” になってしまう。

そうして、気持ちが孤立してしまうことがある。

 

無限に広がり、境界線がない感じ。

広くて大きな海に、世界に溶けてしまうような…

 

無数に人間関係がありすぎて、関わり方のグラデーションがありすぎて、他人と自分の境界線があいまいになっていく。。

 

ひとりだと見えないもの

もし世界に自分一人しかいなかったら・・・

キレイにそろった集合体の中では自分がわからなくなる。

世界という海の中の泡は、まわりと同化して見えなくなっていく。

 

もし、泡がひとつだけしかなかったら?

その泡が大きいのか小さいのか測ることもできない。

比べることを失い、自分について何もわからなくなってしまう。

たったひとりだと見えなくなってしまうこともある。

 

自分のりんかくを作るもの

他人が自分のりんかくを作るのだ。

背が低いとか、肌が白いとか、わたしってマイナス思考だな。というのは、比べる他人が存在してはじめて分かること。

自分の性質は、比べる他人が居てこそ分かるもの。

そこではじめて “個性” ということばに意味が生まれる

 

昔は、関わり合う人数は限られていただろうね。一生のうちで、住んでる町の人全員と関わるかどうか、みたいな。

目の前に相手がいて、表情とか、声とか、身振りとかも含めて、その関わり合いの中で自分との違いを感じていた。自分のクセとか考え方に気付きやすい。

面と向かう他人とわたしのささいな関わり合いの中で、笑ったり悩んだりして、わたしという人間のりんかくがハッキリする。作られる。

“個性” を認識できる。

 

孤独を知る


孤独は山になく、街にある

孤独があるのは、人がたくさんいる場所

この言葉、現代にしっくり当てはまる。

改めて、このフレーズが80年も前に生まれた言葉だということに、本当に驚く。

 

孤独、と聞くと連想するのが「さびしい」。

ここで惑わされてはいけないのが、「さびしい」という孤独感情とは別ものだということ

 

孤独は感情ではない


孤独は感情ではなく、知性に属さなければならぬ

と三木清は言う。

孤独だとさびしい。そう感じてしまうかもしれない。

しかし、「ひとりである(在る)こと」と「ひとりぼっちで寂しい」は違うのだ

英語だと「alone」と「lonely」の違いだね。

 

ここに孤独の価値が隠されている。

 

孤独だから自分自身でいられる。だから強くなる

無理に人に合わせない

結論から伝えよう。

孤独、それは自分が個性を持つひとつの存在であることなのだ。

 

孤独。人と人との間にスペースがあるということ。

それは迎合されないということ。

自分を曲げてまで人に合わせないということ

 

人に合わせないのは、自分なりの考え方があってこそ。

自分の中の知的な部分、一本の芯があるということだと思う。

 

孤独は知性だ

全体がおかしい時におかしいと言える知性があるということ。

孤独になったとしても それは知性がある。

迎合しない、無理に人に合わせないということは、自分の意見を持つことは孤独を生むかもしれない

 

しかし、岸見先生はこう伝えている。

知的なアイデンティ。これを持てることに価値があると。

それが感情に煽られた孤独ではない、知性による孤独。

 

戦時下でNOを言う強さ

原作の三木清の人生論ノートが書かれたのは、なんと戦争の時代だ。

世界がファシズムの狂気に飲み込まれておかしくなっていたとき。“戦争” が正当化されていた時代

そんな異常な正常に包まれた時代に生まれた言葉たち

戦時中にNOと言うのはどれだけ心の強さが必要だっただろう。

 

孤独は知性。本当に尊い考え方だ。

 

間違えないでほしいのは、大勢に逆らうことや他人の逆の道を行くことが素晴らしいと言っているのではない。

自分の考えを持ち、違うと思った時にはNOと言える勇気を持つことが大切なんだろう。

 

たとえ孤独になったとしても。

 


あとがき

三木清が伝えようとしていたのは、孤独になっても自分の考えを貫く強さでした。

岸見先生の解説でなるほど!と思ったのは、この原作がどうしてこんなに難しくてまわりくどい言い方をしているのか?

理由は、戦時下の政府の厳しい規制。

当時は戦争が正当化されていたから、厳しい国の規制があった。

言論の自由なんてなかった時代だから、とても難しい言い回しを駆使して規制をくぐり抜けようとした。

自分の考えをなんとか伝えるためだったのです。

 

どうしても伝えかったんだろうな。と思うと胸が痛くなります。

 


生命は虚無からの形成力で、人生とは形成である

人生とは形成、つくること。すごい言葉です。

自分で考えて、自分で人生をつくっていく。

アドラーの、「人間は人生を描く画家である」っていうことばにも通じるなと思います。

Yuko
それに虚無の海から自我によって自分が作られるというイメージは、エヴァを思い出さずにはいられない。

現代のポピュリズムはある意味で人類補完計画なのかも・・・なんてな。こわいな。

わたしはひとりの時間が好きです。ないと困る。

修学旅行でも、ふとみんなから離れてひとりでぼけーっと湖を眺めていたりしました。

たいてい「大丈夫?」とか心配されるけど、全く大丈夫。

やっぱり必要なのです。そういう時間が。

今日は一週間で一人になる時間。ぼーっとしよう。