これ見えてます?不揃いの色たち、不完全な言葉たち。その謎が解けた

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“夢”という言葉が存在しないとしたら、その概念も存在しない?

ギリシャ語には無礼なという言葉がないらしい。

「ギリシャ人は自分たちの非礼さに気付いてすらいない。だから無礼という言葉自体が生まれなかった」

なんて考える哲学者もいた。

 

 あなたもそう思う?

 

どこかの国の言葉に、悲しいという言葉が存在しないとしたら、その国の人たちには悲しいという感情が無いの?

 “跳ぶ” という言葉が存在しないとしたら、それは跳ぶという運動能力がないの?

それともただ試したことがないだけ?実は人間は跳べるってことを。

 

言葉と人の思考の関係、掘り下げたらオモシロイかも

 

ちょと考えてみた。

 

言葉ってそもそもどうやって生まれるの?

 

考える対象として色を表す言葉にフォーカスしてみよう。
感情とか目に見えないものじゃなく、どの国の言語でも分かるように。

その色名の始まりを元にして、歴史上にはいくつもの言語学者の研究ストーリーがあったのさ。

面白くてハマってしまい、これまでいくつか記事を書いてきたので、
一旦これまでのストーリーをおさらいしつつ今日で完結しましょ!

 

その1 現代人の色覚能力は人間の進化の結果だ。という説

昔むかし、、

変な色の表現方法をする古代人がいた。

紫の羊が草をはむ。
緑のハチミツを採取する。
そして鉄色の空が広がる。

なんたるファンタジーの世界・・・

一人だけなら、その人だけの芸術的表現かもしれない。
が、発見されたのはたくさんの国で。
同じようにおかしな表現があちらこちらに。

 

昔は「青」が存在しなくて
白黒プラス赤、黄色、緑・・・というように徐々に色名が増えていったため。

その進化の途中経過では、当てはめる色名が今のわたしたちからするとまるでトンチンカン。

なにが不思議で言語学者がこれに注目したかというと、
なんと世界中で順番までほとんど同じくして色名が増えていったからなのさ。

ということで、
古代人は正しく色を認識する能力がなかったのだ!色覚能力は進化したのだ!
と、考える人がいた。

*詳しくはこちらの記事も合わせて:スミレ色の羊が存在していた?色覚の進化論がおもしろい

 

だって仮に同じ視力を持っていたならば、こんな無秩序な色表現をするなんてありえない!
とね。

青という言葉がなかったのは、青が見えていなかったから。

同じ説を唱える人は何人も出てきた。
あのニーチェも支持し、哲学の世界観を広げたという。

それに対抗するのがダーウィンの進化論をベースにした意見・・

 

その2 ズバリ、生きてる間に得た能力は遺伝しないでしょう

人間の色覚調査がおいおい行われて裏付けられ、1の色覚進化説は消えていくことになった。

*詳しくはこちらの記事も合わせて:キリンの首が長いのはなぜ?答えは常に終着点ではない理由

 

でも古代人ってもう居ないのに、当時の色覚能力をどうやって調査したん?

それは、未だに近代文明に染まらず、服を着てたり着てなかったりの集団の協力を得て、
彼らが1番古代に近い状態だという体で、色検査をしてもらったのです。

 

 

結果・・・

彼らは全く問題なく色を見分けられていた。

 

そして言語学者が尋ねる。

「これはなんという色ですか?」

すると黄色の毛糸を指差しても、緑の毛糸を指差しても、はたまたグレーの毛糸を指差しても

この3色を1つの単語で呼ぶ人もいた!

 

彼らは3つの色名を持っていなかったのよ。

 

 

つまりその人たちの住む文化では・・・

その3 てか、緑と青は呼び方一緒でええやん

 

ええ、いいんです。一緒でいいんです。

もちろん知ってます。黄色も緑も青も違く見えるのは知ってます。

ほんで?分けて呼ぶこととに何か意味でも??

 

 

彼らに言わせてみればこういうことじゃないかしら?

ただ、ただシンプルに、そういう文化だったのよ。

 

色に名前つける必要ある?みたいな。

そもそも人工的に色を操作する(染色したり、装飾物を作ったり)ようになるまで、

色という性質を物体から切り離して考える必要がなかったのよね。

だから「OO色」って人に伝える必要もないから言葉も生まれない。

 

いわばわたしたちは人工的につけられた色に溢れた環境に置かれていて、
(色鉛筆は順番に並んでいるし、パントーンだって見たことあるでしょ?)

色という性質を人に伝える訓練がされているから当たり前のことのように感じる。

しかし実はその考え方のパターンを身に付けるには、時間が必要なのは証明されている。

*詳しい記事はこちら:空が青いって本当に思う?色を覚えることばの不思議

 

言語学者が尋ねる。

「空は何色ですか?」

→「うーん・・・黒かな。」

 

あの輝かしい青い空を目にしながら黒と答えるなんてなんて感受性が低いのだ!

とかいう学者もいたようだけど、、、

その言葉がないからって勝手に色弱だの、色に対する感受性低いだの決めつけんといてくれ!

って話よね。

 

言葉は伝える必要があるから生まれる

 

最後に残った謎が1つ。

なぜ色名が生まれる順番は世界中で同じだったのか?

 

それに対する現在の解説はこれ。

「人間にとって、必要な順に生まれた」

 

黒白の次は必ず赤だった。それはなぜか?

血の色の赤。人間にとっての血の重要性は、どの時代でもいうまでもない。

それに赤の顔料の原料は1番多く、作りやすい。

 

その次の段階の黄色と緑は、熟した果実と熟していない果実を呼び分ける必要があったからだろう、とされている。

 

いつも遅れて出てくるは、自然の素材としては稀だから。青い自然のものはあまりないのよ。

青いもので実用的な意味を持つものがない。空と海は青だけど、伝える必然性がない。

それに青の顔料を作るのは非常に難しいしさ。

 

いまいち納得できない人のために補足

羊がスミレ色。空が黒。古代はそういう文化だった。

もしまだ納得がいかないのなら、もう少し噛み砕きましょ!

 

味覚のことば、どれだけ持ってる?

例えば・・・

未来の人たちが急にやってきました。

これは僕たちが作った果実です。食べて見てください。

彼らの時代には、自由に味をセットして果実を作ることができるフルーツ製造マシンがある。

そのため味覚表現が豊富で、甘い/酸っぱい に加えて、
ねっとり感やみずみずしさを交えて違いを表す言葉があり、
味覚見本帳を片手にあなたを研究対象としてやってきた。

 

「この果実を食べてください。あなたたちの言葉ではこの味をなんといいますか?」

→「甘酸っぱい・・・ラズベリーっぽい味です。」

「なんと!この味に名前がないんですか!?この2つの果実の違いはわかりますか?」

→「バナナと桃の味が違うのはわかりますよ!ねっとり感とかみずみずしさも違うし・・・」

でもどうしても1つの単語では言えません。

 

この場合、未来人からしたら、わたしたちの味覚に対する語彙は不完全すぎる。

とはいえ、それぞれの味にいちいち呼び方つけるものじゃないし、ラズベリーに似てるって伝えるだけでも何も困らない。

わたしたちが今生きているのは、そういう文化。

 

つまり、

ある言語の話し手に何が見えているか/何を感じているかは、その言語から決めることはできない。

 

結局のところ、思い込みがジャマをしてた

 

結局自分たちの感覚の思い込みで、同じ空を見ているのに黒い空なんて言うはずがない。

っていう固定観念がジャマをして、論争は右往左往してた。

 

すべての始まりは伝える必然性。

言葉っておもしろい。

 

見た目とか言葉とかで表面に発信されたとしても、

思い込みとか固定観念がいくらでもジャマするってことを、また思い知らされた。

 

正しく受信できない。

 

表情とか口から出くるもの、どんな形ですら
人と人とを超えて分かることって本当にほんの僅かなのかも。

 

ロンドンにいたときも、外国人が多い職場でも、
英語を覚えても相手の言いたいことを完全に理解できてない気がして不安になる。

 

だからなるべくいつも全身で受け止めるようにする。

 

相手を理解したいって気持ちで歩み寄らなければ近づけない。
言葉も考え方も何をよしとするかも違って当たり前だし。

違いを知ることが相手を知ることなのよね。

 

この言語学はちょっと小難しい話だったけれど、
思い込みとか固定観念の壁が少しでも薄くなったのなら、
とてもうれしいことさ。

ここまで読んでくれてさんきゅうです。

 

*この話の内容は、わたしのお気に入り1冊の本から学んだ一部に、 自分の考えも交えての紹介でした

言語が違えば世界も違って見えるわけ  Guy Deutscher著・田直子

(原題 “Through the Language Glass: Why he World Looks Different in Other Languages“)

 

この本は難しかた。。

そのぶん読み応えはすごい。何度も読んでしまう。

 

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