セオリーが邪魔をする。

こんにちは、Yuko (@uu_yu) です。

このタイトル通り、セオリーが邪魔をして素直に文章が書けなくなってしまったので、この際「こうしなきゃ」なんて無視して、今日は思ったままに書こうと思います。

 


 

1年と6ヶ月、絵が好きだという気持ちひとつで、色んなことをスタートさせました。

何かを真剣にやるからには、「どうしたら上手くいくかな?」とネットで調べたり本を読んだり、知っている経験者に聞いたりして、ひたすら知識をかき集めてやってみる! 

そうやって一生懸命がんばるものだよね?

 

このサイト、 “絵描きのてつがくスケッチ” もその1つ。

他にも、アーティストとしてSNSでどう発信すべきか?とか… 「やるべきこと」は まあ色々と。

 

このサイトは 2017年の4月くらいに開設して、

Yuko
「せっかくサイトを立ち上げるんだから、たくさんの人に見てもらいたい!たくさんのアクセスを集めたい!」

と意気込んで、たくさんの情報集めをした。正確には、情報集めばかりしていた。

 

たくさんの人に伝えている=成功している、ってなると、自然とブロガーの人やインフルエンサーの人が語るハウツーとか、ブログ論をチェックするようになった。

「こうすれば人に伝わる!」とかの文章テクニックを身に付けたい!と思ってたくさん本を読んだりもした。

それに加えて、SEOと呼ばれる検索エンジンの仕組みとかも。

 

これまで全く知らなかったハウツーとかセオリーの情報を、ゴォーッ!と滝のように浴びて、自分の中の「これもあれも伝えたい!」って気持ちも加速していった。

 

やりたいことはたくさんあって。やらなきゃいけないこともたくさんあって。

 

 

 

けど、正直に言うと・・・

言葉に詰まって、進まない。素直に書けない。

わたしは最近困っていた。

 

こんなしょーもないつぶやきを夜中の4時過ぎにするくらい。

 

なので今日は頭をカラにして、セオリーも無視して、何にも考えずに思ったままを書いてみようか。と思いました。

(だから文の見出しも画像も入れません)

 


 

多分、完璧主義とか理想が高いタイプの人にありがちなやつで、わたしもよく陥りがちなパターンだ。

 

目的のための情報を集めて、成功のイメージを描いているうちに、自分でどんどんハードルを上げてしまって、気づかないうちに自分のキャパを超えてないか?ってところまで「理想像」を膨らませてしまう。

その虚像と現実の自分とのギャップがすごいから、いつまで経っても「出来ない自分」を感じ続けて苦しい。

 

それまでに「出来たこと」の達成感より、これから先の手詰まり感を強く感じてしまうことがある。

 

幾度となくこのサイトの記事でも、幸福論とかアドラー心理学を紹介して “気持ちの整え方” を書いているのは自分自身を励ましながら、修行しながらなのです。(苦笑)

 

昔、20代始めの頃は、ずっと夢を叶える自分の虚像ばかり見続けてて苦しくて・・・

心理学とかの本にハマって、そういう本のおかげで乗り越えたけど、今でも昔の弱さが出ます。

 

わたしの不安の形は2種類あって、一時的な落ち込みと、常に小さな疑念が頭にちらつく、というもの。

 

一時的にガクっと落ち込むのは、これから先の漠然とした不安に飲み込まれるとき。

でもこれは自分の “好き” を信じられるので大丈夫。立て直せる。だれでもあること。

 

最近、常に頭にちらつく疑念の1つは、 “書いて伝えること” は自分に向いていないかも、と思い始めていて、「この頑張りって…意味あるのかな?」なんてね。 

やってやれないことはない!上を目指せ!みたいなパワフルなやつって、全てに当てはまらないんですよ。

 

だからわたしは、「書く」を上手くなるのは諦めることにした。

 

一旦やってみた。現実を認めて方向転換するのも大事です。

役に立つのはラッセルの幸福論。

望んでいるもののいくつかを手放そう。

 “本質的に獲得不可能なもの” として上手に捨ててしまえばいい。

※意訳

 

「書く」ことも上手くなりたい!という望みは捨てよう。

これまでに(一応)推敲しながら書いていたわたしの文章のクオリテイなんてたかが知れてるんじゃ。

 

だから “書くこと” よりも “描くこと” に、気持ちも時間も注ぎます!

 

Yuko
という宣言でしたー!これからも、こんなYukoですがよろしくお願いします

 

すべては時間が形を変えたもの、という名言があります。

自分の時間をどういう幸せに変換するか?は、自分で選べると思うので。

 

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