日本を代表するてつがく。三木清
三木清を知ったのは、名著「人生論ノート」。
激動の時代を生きた、日本を代表する哲学者。
彼は海外留学を経験し、ナチスのファシズム、
日中戦争、第二次世界大戦をその目で見た人。
戦時中のてつがくにも関わらず、
なぜか21世紀の現代にしっくりくる。
響いてくる。
複雑な社会環境やら人間関係のストレスから、
どの時代よりも自由に時代なのに、
なぜか自由な心で生きることができない現代人。
三木清の名言が「自分なりのしあわせの考え方」を教えてくれます。
三木清の名言 「人生論ノート」より
幸せのカタチについて
成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、
人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。
幸福は各人のもの、人格的な、性質的なものであるが、
成功は一般的なもの、量的に考えられるものである。
成功と幸せはイコールではないのだ。
成功することと幸福であることは違う。
たとえ不成功であっても人は幸せなのだ。
三木清の名言の中でもっともハッとさせられた。
ひとが外套(コート)を脱ぎすてるように
いつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。
地位やお金・・・
おしきせの幸福のカタチを、ひょいと捨ててしまえる人は、きっと自分にとって本当に大切な幸福のカタチを知っているんだ。
なんかこれ、かっこいい。
そう思った言葉。
我々は我々の愛する者に対して、自分が幸福であることより
なお以上の善いことを為し得るだろうか。
自分が幸せでいることが何より。
それが家族や周りの人への幸せにつながるのだ。
人の期待について
期待は他人の行為を拘束する魔術的な力をもっている。
我々の行為は絶えずその呪縛のもとにある。
道徳の拘束力もそこに基礎をもっている。
期待を感じることで、余計なプレッシャーにもなりえる。
人が求めることを汲み取りすぎてしまう人ほど、
もっと自由になれる可能性がある。
期待値とかその先を意識しすぎた時、
クリエイティブは縮こまってしまう感覚がある。
時には人々の期待に全く反して行動する勇気をもたねばならぬ。
世間が期待する通りになろうとする人は遂に自分を発見しないでしまうことが多い。秀才と呼ばれた者が平凡な人間でおわるのはその一つの例である。
知性について
孤独は感情ではなく、知性に属さなければならぬ
自分らしく生きるために。
その行動によって孤独になることもある。
それは知性による孤独であって、
とても尊いものなのだ。
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名言 「三木清全集」より
一冊の本を読んで、他の本を読もうという欲望を起こさせないような本は、善い本ではない。
かくしておのづから読書に系統が出来てくる。
読書が系統化し始めるに至って、ひとは真に読書し始めたということができる。
そのとき、あの一冊の本を開いたことは自分の心を開いたことであったのである。
今や読書の歴史は自分の生長の歴史になる。
世論を抑圧することは危険である。
なぜなら世論の形成発達が自由でないということは
大衆から次第に知性を奪い取り、
かくして大衆は次第に衝動的になり、
大衆が衝動的になるということは
極めて危険なことでなければならぬ。
世論の発達は大衆の本能と感情とを知性化することである。
世論をコントロールし、みんなが同じ方向を向き過ぎているのは恐ろしいこと。
戦争がまさにこれだ。
自分で考えることを奪われないように。