好きなことをして生きるには、ちょっとした勇気が必要。
「人から認められたい欲とはバイバイして、自分で自分を認めよう」
と勇気を与えてくれるのがアドラー心理学なのだ。
*有名な「嫌われる勇気」という本の中では、この欲は「承認欲求」と呼ばれている。
あなたも今日から他人の期待に応えないぞ!
もやもやをスッキリさせるアドラー心理学を、わかりやすくお伝えしましょう!
読む前に・・・
忘れないでほしいのは、心理学やてつがくは、あくまでひとつの「考え方のススメ」。
しっくりこないのなら、あなたに合った薬ではなかっただけなので。
もし、ストンと自分の中に入ってきたり、ハッとさせられたりするものを偶然見つけたのなら、
きっと人生好転のきっかけを作ってくれるはずだ!
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あなたの期待には応えません。アドラー心理学
だれもが持っている、承認欲求とは?
まず、承認欲求とは具体的にはどんなものか?わかりやすい例だと…
- 将来の夢を親に反対されるから言えない
- 職場での上司の評価が気になる
- 周りの感謝が足りないと感じる
などなど。
人として、すごくよくある感情ばかりなのだ。
それもそのはず!
人は他者から認められることで、自分の価値を感じたり、自信を持つことが出来るのだから。
そう。当然の欲求なのだ。
なぜアドラーは「人に認められたい=承認欲求」がいらないと言うの?
人から認められることなんて必要ない。むしろ認められることを求めてはいけない。
それがアドラーの心理学。
え?なぜだれもが持っている感情を否定するのか?
答えは、
人から認められることを求めて、人からの評価ばかり気にしていると、
結果的には他人の人生を生きてることになってしまう。
からなのです。
承認されることを願うあまり、他者が抱いた「こんな人であってほしい」という期待をなぞって生きていくことになる。
つまり、ほんとうの自分を捨てて、他者の人生を生きることになる。
「嫌われる勇気」より
身近なケースでアドラー心理学を理解してみる
親に認められたい子ども心
ベーッシックな人に認められたい欲求。
子どもはだれでも親に褒められたいし、認められたいもの。
実はそれが自分を苦しめる、憎っくき「承認欲求」であるのだ。
ケース①:将来の夢を親に反対されるから言えない。
わかりやすい簡単なストーリーにしましょう。
昔むかし、あるところに女子高生がおりました。
女の子は、女優になりたいと夢見ています。
しかし女の子の親は「大学へ行ってふつうに就職してほしい」と心から願っているのは明らかなのです。
だって普段から「芸能界なんてチャラチャラしてるところ!」とかボヤいているし。
きっと認めてもらえるわけがない…
それでも進路相談もあるし言わなきゃならないし…
女の子は勇気を出して伝えてみました。
結果は予想通り。大ゲンカになってしまった。
「ちゃんとした仕事につきなさい」
「ちゃんとした」の定義は何なのでしょうか?
親が望む職業は「ちゃんと」していて、女の子が描いた夢は「ちゃんと」していないのでしょうか。
「ちゃんとした」
その言葉は、女優という職業だけでなく、女優になる「自分の人生の価値」を
親に認めてもらえないような気にさせられたのです。
親への承認欲求とサヨナラして自分の人生を生きる
上に書いたストーリーでは、女の子が1番の理解者であってほしいと思っていた親への「承認欲求」が満たされなかったのだ。
そして親目線で下された評価では、自分の望んだ夢が「ちゃんとしていない仕事」と言われてしまった。
この親の評価が彼女の中であまりにも大きい意味を持っていたから、悲しくてツラかった。
クリエイティブ系はだいたい反対されるよね…
この手の悩みはYahoo知恵袋とかに山ほどあるよね。
「〇〇になりたいと思っていますが、親に反対されています。諦めるべきでしょうか?」
「親は〇〇なんて食べていけないと言います。本当に食べて行けないのでしょうか?」
といった感じの悩みがたくさんある。
わたしも同じような経験が高校生のときにありまして。
わたしはデザイナーになりたくて、進路相談のタイミングで初めて親に専門学校に行きたいって言ったら… 猛烈に反対されたんだよね。
それで半年間は地獄の冷戦でした。
まあ結局は押しきったし、夢も実現させたんだけども。
しんどかったのは確かです。
自分は親に依存してない、と思っても… 自覚症状がなかった
押し切るほど意志が強かったわたしですが、なんでこんなに気持ちはしんどいの?
それは、自分が抱えていた親への承認欲求を自覚していないせいだった。
わたしは自分で考えて答えを出している。わたしの意志は親と独立している!
別に分かってもらえなくていい。
と思っていても、
気づかないうちに心の奥底では「本当は認められたい欲」がひそんでいたりする。
わたしも親の反対を押しきるくらい、自分なりの強い意志があったのに、
実際にやりたいことを実現させたのに。
にも関わらずですよ。
それでも何年経っても「自分は認められてない」というシコリのような気持ちがあって、
やりたいことをやりながらも、どこかそんな虚しい気持ちが残る感覚。今でも鮮明に覚えているのです。
そんでアドラー心理学を知って気づいたんだ。
あぁ… わたしはいつまでも親に認められることを気にしてたんだ…
そう自覚したときは、自分でもびっくりした。
「親が認めた人生に価値があるんじゃない。自分が大事にしているものに価値があるんだよね」
と、やっとハードルを超えました。
クリエイターは承認欲求との戦いかもしれない
わたしは現在 パラレルワーカーでやっています^^
「人から認められたい欲」の毒は、なかなか根深くてしぶとい。
クリエイターであることは、ある意味人に認めれられたいという承認欲求との戦いかもしれない。
はてさて、
ここまで辛抱強く記事を読んでくれているクリエイターのあなた。(じゃないかもしれないですが、ありがとうです!)
それ1本で生活している / していないに関わらず、
こう思ったことはないですかね?
他人から見て「アーティストだ」と思われたい、認められたい。
真摯にものづくりに向き合っていても、理解してもらえないとツライ!
ええ、そりゃぁもう泣き叫ぶくらい。
加えて、一人前に稼げていなければ!というプレッシャー。
プレッシャーのせいで、どうやったら売れるか?
という方向に引っ張られてしまうのもモヤモヤする。
そんな時は、
承認欲求はカラダに毒。クリエイティブ脳に毒。
毒っ!!
だと思って心を整理するしかないっさ。
承認が動機にならないよう、好奇心が動機であるように
ルソーのことば
あとがき
親への承認欲求を例にしたけれども、アドラー心理学はわかりやすく伝わったかしら?
人の期待に応えて自分の承認欲求を満たすのは、やめだやめだ〜〜
アドラー心理学は好きなことして生きたい人へ役立つ心理学だと思いますよ。
もし、好きなことをやりたいけど勇気が出ないならば!
それはアドラー心理学の「課題の分離」があなたに役立つテーマかもしれない。
「自分のやりたいこと・夢を周りに伝える」というのは「自分の課題」であって、
それを聞いた人が「どう感じるか」はあくまでも「他者の課題」で、あなたがどうこうできる問題じゃない。
あなたの夢を鼻で笑うヤツがいても、
「それって食べていけるの?」とかすぐ聞いてくる奴がいても、
なんで夢を語っちゃいけないんだよぉ!と怒ってみても、
相手の反応を操作することは出来ないのだ。
もしアドラー心理学がちょっとでも気になったなら、また次の記事で会えたらうれしいです!
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