どうしようもなく、さびしい時があります。人とわかり合えなくて、さびしい時があります。
感情の波がどうしようもない時、女性なら生理のPMSの波とかね、今だけは感情に思いっきり浸ろう…. と、底抜けに甘やかすこともできるけれど。
本当は、ちょっと顔を上げて立ち上がりたい気もする。
そんな時にちょうどわたしの目に入ってきたのが仏教マンガで、とても親しみやすかったのでシェアしますね。
『寂しさとどう向き合うか』(1/2)
〜ある仏教の先生に教えてもらった寂しさとの向き合い方〜【過去作再掲】
仏教の学校に行っていた時の話です #仏教マンガ pic.twitter.com/hzdKirhS1c
— 近藤丸 / Yoshiyuki Kondo (@rinri_y) December 15, 2020
マンガの中では、寂しいことを認め、受容して、いかにしてより良く生きるか?という教えを伝えてくれています。
教えの意味はわかるけど、このさびしい感情の行き場は…?という人にわたしのお話を少しだけ。
寂しい時はすこしだけ
すぐには心が受け入れられないこともある
ほんとうに人生しんどい…ってときに、わたしは心理学やてつがくを学びはじめたんですけどね。
その中でも仏教の教えは一筋縄ではいかないというか、、、仏教は一生かけて飲み込んでいく修行なのでしょう。
西洋のもの、アドラー心理学は最初はびっくりしたけれど飲み込みやすくて、頭にも心にも受け入れやすかったんです。
仏教は、頭では理解できても、まだまだわたしの心の安定さが足りないのだろうな… 心ではすんなり受け入れられないこともあったり。
わたしは「超訳 ブッダの言葉」という本が仏教に触れた入り口でした。
ブッダの言葉を何度も何度もくりかえし読んでは、「頭では分かるけれども…. そうは言っても…. 」と感情が折り合えない自分をいさめるため、本を閉じてじーっとしてみたりします。
整然とした文章に比べると、マンガは内容が飲み込みやすいなぁと思いますね。
おそらく、描かれているキャラクターが仏教の教えを一瞬で納得するのではなくて、「うっ」という感じの表情をキャラが自分の代わりにしてくれてるみたいじゃないですか。
シェアしたこの仏教マンガをTwitterで知ったのは最近なんですけど、本当読みやすくてありがたい。
自分も寂しいし、みんな寂しい
話は戻って、やっぱり寂しいと思うときは寂しいんですよね。
2020年からは本当にしんどい感情の山がみんなにもあるのでは。と思います。
だから、仏教の教えの通りに寂しいことを自覚して、いかにしてより良く生きるか?という状態にまで力強く前へ進めなくてもいいのではないかな?
力強く進む、その手前くらいで。
ただ、せっかくこの教えに触れたのだから、
「そんなこと言われたって寂しいもんは寂しいんじゃー!」って突っぱねるのは、もったいない。
ブッダから、こんな言葉もあります。
自分の心にとってタイミングのよいときに、心の法則についての教えを聞いたり読んだりすることで、うっかり忘れそうになる心理を、繰り返し心に染み込ませて成長すること。
それが最高の至福。
超訳 ブッダの言葉より
寂しさとの向き合い方も、この教えがちょっと染みてきたくらいで今は良し。として、また繰り返し繰り返し染み込ませて成長していけば良い。
と捉えていいとわたしは思います。
仏教はゆっくりでいいから。そう言われているような気がして。
だから、今はとても寂しい。みんなも寂しい。だけどそのうち向き合って手を取り合って前に進める。
それを頭には置いておいて、今は自分の心は寂しくて、みんなも寂しい。そこまででいい。
そんな感じでどうかなぁと。
オススメの本
ヤンキーと住職
近藤丸さんの仏教マンガ、めちゃくちゃおすすめですよ〜。ぜひTwitterフォローしてみてください♪
『ヤンキーと住職』第9席 「卑下慢」
※漫画は個人的な見解で仏教教義や宗派見解と異なることがあります。あくまでも作者の解釈です。#コルクラボマンガ専科#仏教マンガ #漫画が読めるハッシュタグ #慢 pic.twitter.com/irWbPaXhf6
— 近藤丸 / Yoshiyuki Kondo (@rinri_y) June 23, 2020
わたしは学びたい気持ちもあるけれど純粋におもしろいからKinde本(電子書籍)もゲットしちゃいました〜♪
マンガは思ったよりコンパクトでしたが、仏教コラムがおもしろかったです。
165円とか安すぎです!
ちなみに、Amazon Prime
超訳 ブッダの言葉
ブッダの言葉 は簡単にマネすることはできないけど、とても深い学びがあってお気に入りの1冊です。
おまけ
孤独は山になく、街にある
これは三木清という日本のてつがくで、孤独と向き合う勇気を出すことの大切さを教えてくれる本に書かれたことばです。
この記事で話している「感情としての孤独」とはまた別の孤独の形についての話です。
興味がある人は別の記事に書いているのでぜひ。