絵描きと会社員のパラレルワークをしています、Yuko (@uu_yu) です。
「パラレルワーク」という働き方をしていると、いろんなことを言われますし、いろいろと人の目もあります。
SNSやブログにこうして自分の話を書いていることも、ビビりなわたしにとっては最初はけっこう勇気のいることでした。
この記事は、自分の好きなことや やりたいことがあるけれど、うまく進めずにモヤモヤしている人に伝えたいです。
自分の表面と内面で少し違和感があるなと思ったとき、
ちょっと勇気を出したいとき、
わたしに効いたのは、心理学者 アドラー特集のTV番組でした。
自分の中に感じた違和感ですこしでも悩んでいる人には、ぜひ知ってほしいです。
オススメの参考図書はこちら、岸見一郎先生がアドラー心理学を解説している『嫌われる勇気
まずは、空気を読む日常のストレスを手放す
空気を読みすぎてつかれた。
わたしもそうでした。
周りの人からどう思われているか気にしてしまう。だれにでもあること。
アドラーの心理学では、周りの目を気にしてしまうメカニズムについて語られています。
そもそも・・・空気を読むってなんやねん
現代にできた “空気を読む” という謎のスキル。
これを一定以上持ち合わせていないと、自分の知らないところで “KY”と呼ばれることになる。
友だちにも職場でも、このマイナスイメージのレッテルを貼られないように、無理して気を配ったりして。
期待を裏切らないように、背伸びもしてしまう。
常に見えない何かを期待されて、相手のそれを ちゃんと満たしてあげなきゃいけない気がする。
たとえば、こんな何気ない日常会話で。
「わたし今 OOにハマってるんだ〜 」なんて言おうもんなら、なんか・・・とことん知ってないと「にわか」とか「ミーハー」とか呼ばれちゃうような・・・そんな空気ないですか?
「〇〇が好き」って言うと、それ仕事にすればいいじゃん、って言われることが最近増えてませんかね?
気にしすぎかもしれないけれど、なんとなくプレッシャーを感じちゃうタイプなんです。
そう思うと、好きなことすら (やっぱり言うのやめとこう)ってなっちゃったり。
感受性が強いと、ツライ
特に感受性が強い人は、見えないプレッシャーを感じてしまいませんか?
やり始めたばかりのチャレンジを話してみたら「それでいくら稼げてるの?」とか、
がっつりお金を稼げていなければ「所詮その程度」って下に見られる感じ。そんな空気ないですかね…
そういうの感じたり、気にしたり……. なんだか疲れた!
“なんとなく” の感覚が自分にはマイナスに作用して自分を苦める、「人にジャッジされてる感」は一体どうすればいいのだろう?
そんな悩みにつながりそうなのが、アドラー心理学の話でした。
アドラーの心理学によると・・・
つらさを引き起こしているのは自分
あくまでも “アドラー心理学によると” ですよ?
周りに合わせてしまうのも、期待に応えようとがんばってしまうのも、自分が引き起こしていることなのだ。
え。。。すでにツライのに「自分のせいでしょ」と言われたら、どうすればいいの…?
って最初はわたしも思いました。
でも一回最後まで読んでみてくださいね。
現実味のあるエピソードの方がとっつきやすいかもしれないので、少しわたしの話をさせてもらうと…
会社員に転職したてで、周りは 全く知らない、新しく人間関係をつくらなきゃいけない人たちしかいない。しかも、ハッキリ言ってそれまでの人生で関わったことのない人種ばかりだった。
「この人たちに嫌われないように。」と思って、それまでとは違う自分を演じてしまった時期がありました。
妙にヘコヘコして、色んな人に愛想振りまいて、よいしょトークなんかしちゃって。
(もしかしたら実際はあんまりよいしょ出来てなかったかも。。。汗)
一応、ゆとり世代のわたしからしたら、社会性をMAXにして最大限によいしょしてました。
女性の多いチームということもあって外見も悪目立ちしないように気を使ってワザと地味目を着るようにしたり。
とにかく、表面的にまわりにどう見えてるかを気にしちゃってて・・・それはそれはとっても苦痛だった。
そんな態度で毎日を過ごしていたら、自分らしさが分からなくなってきた。
演じている方の時間が長くなったせいで、どの自分が本当の自分なのだろう… と、感覚が麻痺してきたのでした。
これが本当の自分だ、と思っている自分像ってそもそもどんな性格だっけ?くらいに、自分らしさを見失いそうになってる状況に気付いたとき、そんな自分が許せなくて、ただ、つらかった。
そうして出会ったのが、アドラー心理学でした。
このエピソードをベースにしてアドラー心理学をかみくだいていきましょうか。
偽物の自分になってまで避けていたもの。わたしが逃げていたものとは?
「周りを気にしてしまってつらい」
心理学者のアドラーに言わせれば、それは逃げだそうだ。
「つらい」という感情をかぶせることで、本来向き合わなければいけないことから逃げていたのだという。
「つらい」という感情の下に隠したのは、偽物の自分を演じてまで、避けていたもの。
わたしがほんとうに逃げていたものとは?
「わたしには人から嫌われる部分がある」という事実からの逃げ。
偽物の自分を演じてしまった理由はこれ。
もし、自分が偽物になる前の、そのまんまの自分であたらしい職場にいたら?
自分の素直な感情や振る舞いをかくさず、素直な振る舞いをしていたら、わたしは嫌われていたかもしれない。
素直な自分が嫌われる =(イコール) それは本来の自分を否定されるということ。
本来の自分が否定されることは、ツライ。
本来の自分を表に出して、否定されたら、それを思い知らされるから。
つまり、本来の自分が嫌われるかもしれないという事実から逃げたくて、事実を受け入れるツラさから逃げたくて、嫌われないように行動してしていたらしいのだ。
たしかに、偽物の自分が否定されるより、本来の自分が否定される方がツライからね…
嫌われないように行動してしまう人の思考のメカニズム
- 本来の自分らしい行動をする
↓ - 嫌われる
↓ - 自分は人に嫌われるような性格だという事実に直面する
↓ - そんな自分だと認めたくない
↓ - ツライ事実から回避するために他人に好かれる態度をとる
逃げないためにはどうしたらいいの?
このツライ感情のループを抜け出すにはどうしたらいいのだろうか。。
答えはシンプル、嫌われることから逃げないこと。
はい、ここでやってきました。それを伝えているのがあの有名な本、「嫌われる勇気」なのです。
いや、ふつうに人から嫌われたくないんですけど。。。
ここまで全部自分が原因みたいに言われっぱなしでしんどいですが、大丈夫。
最終的に、人に嫌われているという状態は良いこと、という結論にたどりつくので!
もう少しなので、最後まで読んでほしい!
では実際にわたしが嫌われてた時のエピソードを!
転職したての職場で、わからないことを聞きたくて話しかけても、明らかにわたしにだけ反応が違うことがありました。
そんなの被害妄想だと言ってしまえばそれでおしまいですが、あからさまに無視されたり、嫌な顔されたりとか、
(__あ、わたしちょっと嫌われてるな)と感じてしまう対応をされたことが何度かあったのです。
「OOさんから嫌われてるみたいだけど大丈夫?」
というセリフ(=イコール、OOさんがあなたのこと嫌いって言っていたよ、という間接的なお知らせですね)
を言われたこともありました。
いや〜、ほんとにツライし。そんなこと言われても困る。
そもそも職場だから、好き嫌いで態度を変えらると仕事も滞るし、仕事が進まなくて困るし残業もしたくないし、これが続くのは
… めんどくさい。
あ〜、こんなの勘違いだと思いたい。人に嫌われてるなんて思いたくないし、嫌われながら仕事をしたくない。。
アドラーに言わせると「嫌われたくない」の裏を返せば・・・
そんなネガティブモードで過ごしていた頃にアドラー心理学に出会って、「つらいのは嫌われないようにしてる自分のせい」と、わたしの心はメッタ斬りにされました。
「人から嫌われたくない。」それって言い換えると….
自分が人から嫌われる部分を持っているんだっていう事実を認めたくないからじゃない?
嫌われる要素を持った自分がイヤだからじゃない?
その事実を受け止めるのがツライからじゃない?
嫌われるような自分のダメなところを直す努力、したくないからじゃない?
という連続した答えをアドラー心理学はぶつけてきました。
…ここまでボコボコに言われると、ボクシングならコーナーに追い詰められて連続パンチくらってK.O.って感じですね。
でもね、嫌われるのは喜ばしいこと!
そもそも、万人に好かれる人はいないのだから
落ち込んでたのに、アドラーにボッコボコにされた。
このアドラーの話をはじめて聞いたとき、アドラーってかなり追い込むようなこと言う人だなあ・・・と思った。
でもその反面、すごく納得できる自分もいた。
たしかに、自分には欠点がある。
それに、人は生きてれば 必ずだれかには嫌われているよなぁ。
そりゃぁ できれば多くの人に好かれたい。そう思うのが人間だけど。
一定の人に嫌われるのは、もう仕方ないか。
嫌われるほど、自分らしい証拠
逆に!
嫌われるってことは、人に嫌われるようなパーソナルな部分をオモテに出せている。
「自分らしく生きている」という証拠で、なんとも喜ばしいこと!とも言える!
うん。自分には人に嫌われる部分が多かれ少かれ、ある。
そういうふうに現実を受け入れたら、毎日は、人生はもっとラクになるはずだ。
ダメなところを直すのも、スバラシイこと。
でもね、もしダメなところも直せるなら、それはそれでいいことだ。
直すことで自分のことを認めやすくなるならば、自分の人生が楽しくなるならば、それはそれでいいんじゃない?
表面を取り繕って、偽物の自分になって、職場でうわべのイエスマンになったままだと楽しくないと思う。
会議中も実は主張したい意見があるのに言わないでいたら、心の中では違うと思ってのはストレスも溜まる。
仮に、自分の主張を伝えたならば。
発言に幻滅されるかもしれないし、期待に沿わないかもしれないし、
嫌われるかもしれない。
自分の知りたくない現実もあるかもしれない。
いざ伝えようと言葉にしてみたら、自分の伝え方が下手くそすぎてビックリ、とか。
自分のアイデアの欠点を指摘されるのが恐い、とか
相手と言い合いになったとき言い負かされたら嫌だ、とか
こう思っているのは自分一人だけだったらどうしようとか。
でも、
このツライ部分に、一旦向き合うことができれば!
人に伝わりやすい “伝え方” を学んだりすることができるし、
足りなった知識が増えるかもしれないし、
激しい言い合いになったとしても、実はお互いの言葉選びが違うだけで本当は同じ意見だった、なんて結末になるかもしれない。
何より、隠さない自分でコミュニケーションをして通じたときの喜びはどうだろう?
きっと、とってもしあわせではないか。
次のアドラー心理学は、「優越コンプレックスを捨てよう」
はい、ここまでおつかれさまでした。
8割はしんどいパートでしたが、最後は気持ちがふわっと軽くなるような気がするのは、わたしだけでしょうか。
わたしが救われたアドラー心理学のお話は他にもあります。
けど長くなるので、つづきのテーマだけサクッとご紹介。
↓↓↓
自分は見られている。という思い込みのコンプレックス
自分は見られている気がする、嫌われないために行動する =(イコール)周りからどう見られるかを意識してるってこと。
つまり、自分は常に周りから “見られている” と思っていませんか? という問いかけからはじまります。
これはアドラーのいうところの “優越コンプレックス” の一種で、自分は人に見てもらうだけの価値があると知らないうちに思っているからだそうで。
周りの目を気にしてすまうのは、自分で自分の理想を高くして苦しむ、「優越コンプレックス」と呼ぶらしい。
え…? 自分は劣等感だらけだと思ってたのに、なんかそう言われるとショック
と、わたしは思いました。
真逆のキーワードに見える「劣等感」と「優越コンプレックス」は、つながりがあるのです!
では、優越コンプレックスの話はまた今度時間があるときに。
\\この本もオススメ!//
絵を描きたいと宣言するまで、わたしも勇気が必要でした。
なぜ絵を描きたいと思うのか?
たくさんの言葉に力を借りて、人にどう思われるかを気にせず、自分なりの答えを見つけました。
よかったら合わせて読んでみてください。